「綿繰り」とは、収穫した綿の種を取る作業です。
木綿の木から採集した綿の中には、種があります。
綿の繊維と種を分ける機械が「綿繰り機」であり、その作業が「綿繰り」となります。
今回、磐田市の掛塚にある昔の廻船問屋の屋敷「津倉邸」にて、和装関連のイベント「つなぐ・つむぐ・はぐくむ」がありました。
そのイベント内のワークショップとして、「綿繰り体験」を行ってきました。
津倉邸のある磐田市の掛塚は、天竜川の河口付近で栄えた街です。
天竜川を下ってきた材木をこの掛塚で集積し、船に乗せ、江戸や大阪へ向けて発送を行っていました。
その材木と船の手配を行っていたのが津倉家であり、その邸宅は材木の見本として当時最高の物を使って、宮大工にて建てられています。なので造作の一つ一つがとてもすごい物であり、もう溜息しっぱなしです。
その津倉家の茶室の横の庭園を望む部屋にて、綿繰り体験を行いました。
「綿繰り」とは、綿を収穫した後に行う最初の作業です。
綿から布を作るまでは大変な作業工程があり、よくイメージされる糸紡ぎはホントに一部分。さらにギッタンバッタンと布を織る作業はほとんど完成したも同然の最終的な作業です。
上記の表は、一般の方にもわかりやすくるるためにざっくりと僕がまとめたものです。
この表を張り出して、今やっている「綿繰り」がどこの部分にあたるのかを分かってもらいます。
この表を見てもらえば、昔は布を作ることがとても大変だったとわかってもらえます。
いまでこそ「服は買うもの」になっていますが、バブルの前までは服は生地を買って作るものでした。
そして着物こそ未だにその流れを残しており、お誂えするのが当然の物です。
自分で着るものを作るという事は、大変な作業であり、その分無駄を出ないようにします。
なので着物は、作るときに無駄が全くでない(余り生地の出ない)世界でも稀な衣類なのです。
それを分かっていただくためにも、この「綿繰り体験」を行い、今では安価な消耗品になってしまった布地が、実は大変な作業の上に成り立っていることを分かってもらうのがこの体験の目的です。
で、せっかく実際の綿を使っての体験なので、植物としての「木綿」についての理解も深めてもらいます。
今回使った綿は「和綿」という、昔から日本で育てられてきた綿です。
西洋から入ってきた「洋綿」にとってかわられ、絶滅したと思われrていた「和綿」ですが、磐田市の寺田さんの力により「和綿」は復活されました。
その貴重な「和綿」を使ってのワークショップです。
綿繰り機は日本独自の発明品で、江戸時代初期に出てきました。
それ以前は、綿の有効性は知りながらも、使う事はできませんでした。
(大河ドラマ「女城主直虎」で伊井谷の産業として出てきましたが、あれはフィクションです)
とまぁ、色々な勉強の機会を作り、説明しながら綿繰りを体験していただいていたのですが、実際にやってみると綿の繊維が取れていく感覚がとても面白く、特に男性ははまる人が多くて、結局綿繰り機の前から動かない人が続出・・・・
場所も良く、とても楽しい体験会ができました。
ホント、良い機会をいただきました。