毎年4月の第二土曜日は、浜松市北区三ヶ日町にある初生衣神社の「御衣祭り」です。
御衣(おんぞ)とは、神様がお召になられる衣の事。伊勢神宮に奉る”天照大神”の衣の事です。
新城市の赤引で作られた絹糸をこの初生衣神社で織り、豊橋市の湊神明社から船に乗せて伊勢神宮に送るのですが、今回の御衣祭りは初生衣神社で生地が織り上がたことをお祝いするお祭りなのです。
とはいえ現在では初生衣神社で織っているわけではなく、浜松市の繊維問屋に発注した絹織物を使ってお祭りをしているのですが。
初生衣神社は神服部家が京都からもってきた神社で、織物の神様である天棚機姫命を祀っています。
「織物の神様」ということで弊社も毎月の掃除ボランティアに参加しています。
今回、その初生衣神社のお祭りですので、参列してきました。
普段の清掃ボランティアの時と比べて、ものすごくたくさんの参列者。
初生衣神社って御衣を織っているところだし、氏子がいるわけでもない神社なんですが、いつの間にかていうか戦後になって「浜松織物の元」として位置付けられてきました。なのでこの御衣祭りのときには、浜松市の繊維組合関係者が大挙して訪れます。
2021年現在、まだまだ新型コロナウィルスの災禍が猛威を奮っています。
昨年は規模を縮小して行われた御衣祭りですが、今年は例年通り、というか例年以上に大きなお祭りでした。
神主さんの度量がすごいです。
御衣は初生衣神社で織られ、隣の濱名惣社に安置されます(ということになっています)。
その御衣を濱名惣社に取りに行く「御衣行列」です。
この行列は誰でも参加できます。
御衣を初生衣神社に持ち帰り、その後祝詞、神楽、玉串奉奠と神事が続きます。
実際のお祭り時間は2時間弱くらいでしょうか。
お祭りが終わった後、御衣は初生衣神社に保管され、5月の第二土曜日に豊橋市の湊神明社の御衣祭りに引き継がれます。
参列者は繊維関係の会社社長から市議会議員、県議会議員、国会議員など。
初めて参加している議員さんも多くいたみたいで、「こんな祭りがあったのは知らなかった。」「この祭りを使って地域おこしはできないか。」などの声が聞こえてきました。
もう何でも地域おこしとか経済に結びつける、すごく浜松らしい光景でした。
もう少し神様に対しての崇拝の心があっても良いと思うのですが。
ちなみに個人的な意見ですが、「神社は神様第一。お金儲けはその後。」順番を間違えてはいけないと思っています。
先に書いたように、御衣は新城市の赤引で作られた絹糸を使い、初生衣神社で織られ、できた生地を豊橋市の湊神明社から船にのせて伊勢神宮に運ばれました。豊橋からは三河湾沿いに南下し、田原市の伊良湖岬にある伊良湖神社で船の調子を整えて伊勢湾を横切り伊勢神宮に運ばれます。
初生衣神社が今のトコロに安置されたのは平安時代。平安時代から、いえもっと昔から御衣は伊勢神宮へ納められ続けていました。
明治17年に初生衣神社が御衣を織らなくなりましたが、新城市の赤引では糸を作り続け、御衣は伊勢神宮に納められ続けていました。
じゃあ、誰が織ったの?という疑問があります。
今現在でも、新城市の赤引には海野さんという方が御衣用の絹糸を作り続けていると聞きます。
「神様の衣に使われるものだから、絶対に絶やしてはいけない。」と言い90歳を超えても養蚕をし糸を作り続けていると聞きます。
じゃあその糸は誰が織っているの?
伊良湖岬にある伊良湖神社は、初生衣神社が織るのを辞めた時に「御衣が途絶えては大変だ」ということで織りの技術を学び、今でも御衣を織っているそうです。新城市赤引の海野さんの作った糸を使い本来の御衣を伝え作り続けているのは伊良湖神社・・・
「浜松織物の基」として御衣を復活させ、地域おこしに使おうとしているのは浜松市・・・
伊良湖神社でも「御衣祭り」があります。
4月の第三日曜日です。
地域の人たちがみんなでお祭りし、屋台もたくさん並び、とにかく楽しいお祭りです。
僕も何度か足を運んでいますが、「御衣ができた、嬉しいな。」みたいな雰囲気があって、とても良いお祭りだと思います。
豊橋市湊神明社の御衣祭り、伊良湖神社の御衣祭り、共に浜松の繊維関係者は誰も行きません、いや僕が行くからゼロではないですね。
それもまた浜松らしい気がします。
ちなみに浜松をディスって悦に入っているわけでは有りません。
「神様第一、金儲けはその後」の気持ちから、もう少し神様を敬って欲しいと思い愚痴が溢れているだけなのです。